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本:箱男

腰まである段ボール箱を頭からかぶっているという男、箱男の話です。読んでみて最初わけがわからず、「結局どういうことになったんだ?」という感じでしたが、巻末の平岡篤頼さんの解説を読みつつ、二度読みしてみて、何となく自分なりの解釈ができたような気がします。でも、やっぱりわけわからないのは、わけわからないのですが。

以下は少し本文にも触れます。

物語は「箱男が、箱の中で、箱男の記録をつけている」というかたちで始まります。最初に箱男について、そして箱男が及ぼす影響、箱男の社会的位置づけなど。箱男は常に(覗かれることなく)「覗き見る」存在であり、(相互に存在を認め合っているような)社会の構成員ではない。社会には実在しない存在であり、他人はまるでいないかのように素知らぬ顔をする。その点で路上生活者とは異なっています。彼らは(相互に認め合っている)社会の構成員であるが、箱男は社会から隔絶した存在となっている。箱男は一方的に覗いている。覗かれる存在ではない。

そうした箱男の詳述の後に、箱男はあるきっかけで行動を起こし始めます。今までは記述者として静的な存在だった箱男は、小説の中の主要なプレーヤーとなります。彼は今わたしが読んでいる記録(小説)の著者でありながら、記録の中で動き回ります。今まで静的な過去を描いたものが、動的な現在が描かれるようになり、本来著者の箱男はいまこの読んでいる文章を著述しているはずなのに、そんな状態ではない。

そしていつからか、まだ現実には発生していない次の展開(偽の物語)みたいなもの(想像した未来)が記述に入ってきます。問題はどこからが未来でどこからが現実かわからないところ。その上さらに第三者の記述も現れだし、今誰が「箱男」としてこの箱男という書き物を著述しているのかもわからなくなってきます。偽の箱男が箱男に成り代わって著述しているようにも見えるし、はじめからすべて唯一の箱男が著述した創作のようにも見えるし、どこかで箱男は意識を失い、夢の世界に行ってしまったようにも見えるし、そもそも箱男など存在せず、箱男のイメージの断片のようなものを寄せ集めただけの単なる書き物のようにも見える。どこまでが現実でどこからが空想(偽の物語)なのかがわからない。一体、箱男(著者)は誰なのか。

しかし、考えてみれば、小説の世界においては、読者も「覗き見る」だけの存在であり、意識はされるけど(実存するけど)存在しないとみなされた存在と言え、箱男的と言えるのかもしれません。小説の世界は、著者の空想の産物であり、箱男にとっては段ボールの裏書きのようなものなのかもしれません。

もし実は自分が小説の中の一人の登場人物にすぎなくて、読者がいるかもしれないと想像してみたら、ちょっと不思議ですよね。考えている自分は、間違いなく自分が自分の意志で考えているはずなんだけれど、実際には著者という絶対的存在によって描かれたものであり、自分の意思ではない。部屋の入り口を開けたその先に路地先が広がっているような非現実性も、著作物であるならあり得るかもしれない。夜に見る夢のような世界になるわけで。でも著作物の中の人にとっては、現実であるわけであり。

このあたり、最近の見たインセプションにも通じるところがあります。夢はなんでもありで、現実にあり得ないことが起きれば、それは夢と言えるかもしれないけど、現実にもあり得ることが起きれば、夢と現実は区別がつかない。つまり、夢がどこから夢でどこまで夢だったのか、単純な解釈もできるし、複雑に考えることもできる。夢を現実と思ったら夢から抜け出せないし、現実を夢だと思ったら飛び降りても平気みたいに正常な判断ができなくなる。

小説(虚構)における現実とは何なのか、そういった面白さがありました。いまだわけわからないんですけど。