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特別だが普通

とあるお店の店員さんが「あー、あそこのです。普通に限定発売でした。」と会話しているのが聞こえた。特別なものだから「限定」のはずなのだが、普通なのである。うーむ。どういう意味だろう。

察するに「限定発売」というものがよくある販促方法であり、予想の範囲内であるということなのだろう。特に驚きもない「普通」なことだと。少し不思議な響きのある言い方ではあるが、ニュアンスを考慮すると納得がいく。

こうした「普通」の使い方は、今では普通に使われているので、あまり違和感を感じない。しかし数年前にはなかった使い回しのように思う。いつから使い始めたのだろう。

「普通盛り」というのも、今では普通に感じるけれども最初は戸惑った。「普通盛り」とは、たとえば誰かが大盛りを頼んだ後などに、大盛りではなく通常の量の盛りつけを頼むときに用いる。つまり、何も特別な要望がない場合に使われる分量だが、あえて通常通りであることを強調したい場合に「普通盛り」と呼ぶ。通常の状態であるから「大盛り」のように特別な呼び名が存在しない。

しかし「普通盛り」とは変な響きである。違和感のある日本語だ。大盛りとの対比で考えるなら、中盛りとか小盛りの方が適切のように感じる。しかし中盛りは大と小の中間ではあるが、「普通」の状態かどうかはわからないのである。そういうことなのだ。「普通」というのは「普通」の状態を表すことができる唯一の特別な言葉なのである。ここでの「大盛り」とは大盛りという「特別」な状態を指すのである。

こうして考えると、普通とは「特別」な状態との対比に見いだせるような気がする。「普通の人」といえば、つまり「特別じゃない人」である。「普通の人になりたくない」という人は、特別な存在になりたいのである。

では特別とは何だろう。特別とは他との差異が際立った状態と定義しよう。差異がなければ特別とは言えない。差異がないから普通なのだ。たとえば、職場で英語が話せる人が一人だけなら、そこに差異がある。特別な能力なのである。しかし、みんなが英語を話せるのであれば、差異がない。その能力はその職場の中では特別とは言えない。なんとなくだが、しっくりとくる。

つまり、特別とは視点によって変化する高低差のようなものなのだ。一人ひとりの個人をみれば、誰も他の人とは違う。もっともっととっくべつなオンリーワンであると言える。しかし、人を集団として捉えた場合は、何か共通の基準のようなものから突出していなければ、特別ではない「普通」なのである。

別の言い方で言うなら、「普通」と「特別」とは「ある視点から見つめたときの価値領域」と言えるのかもしれない。視点を変えれば、どんなものでも「特別」の価値領域に入れることができるし、どんなものでも「普通」の価値領域に入れることができる。ものの見方によって、何に価値を感じ、それを特別と感じるかは異なる。

自分が特別と感じることでも、他者は普通と感じるかもしれない。特別だが普通なのだ。「普通」は見方によっては「特別」であり、「特別」は視点を変えれば「普通」なのである。普通の人なんていないけれど、普通の人はいる。そこに矛盾はなく、あるのは視点の違いなのである。