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本:延長された表現型

「利己的な遺伝子」の著者、リチャード・ドーキンスの本。「延長された表現型(extended phenotype)」というのは遺伝子による生物個体への発現(表現型)を生物個体によってもたらされる形成物(たとえばクモにクモの巣、ビーバーによるダム)にまで延長(拡張)した概念。本書では最終的に「寄生体による寄主」に対する表現型効果や、「母による子」への表現型効果(遠隔作用)にまで広げていきます。

内容は「読者が進化生物学とその学術用語についての専門的知識をもっていることを前提にしている(p5)」と前置きしているだけあって、専門用語が多くて難解・・。読み終わった後に気がついたのですが巻末に用語説明がついているので参照しながら読むと良いかもしれません。私はまあ頑張って「見物人としてある専門書を楽しむ(p5)」程度には楽しめたのではないかなと思います。

細かい内容は理解できていないので触れずに、個人的に関心のあった遺伝的効果と「環境」による効果について、ちょい長めに引用をしておこうと思います。条件によって発現(発生)する表現型効果は異なるので、その根本が遺伝子によるものであるとしても、人間のすべてが生まれながらにして遺伝子によって決まっている(遺伝的決定論)わけではないという話。

遺伝的原因と環境的原因は原理的には互いに差はない。どちらの原因からくるのであれ、その影響には逆転しがたいものもあれば、容易に逆転するのもあろう。またある影響は通常は逆転しがたいにしても、適正な作用因子を与えられれば容易に逆転しよう。重要な点は、遺伝的影響が環境的影響以上に不可逆的であると期待する一般的な理由は存在しないということである。(p38)

・・・突然変異を除けば、何事も私が私の子供のすべてにGを受け渡すのを妨げることはできない。それはそれほどにも動かしがたいことである。しかしながら、私であれ私の子供であれ、通常はGをもっていることと関連しているその表現型効果を示すかどうかは、われわれがどのように育っているか、どのような食事どのような教育を経験しているか、また他にどのような遺伝子をもっているかに著しく左右されるだろう。(p40)

ベイトンソンは、私が行動の遺伝的決定因に「特別な地位」を与えているようにみえると心配してくれている。生物体がだれの利益のためにはたらくかというその実体として、遺伝子をあべこべに強調することが、発生過程の環境決定諸因に反対するものとして遺伝の重要性をはなはだしく強調することになるのを彼は恐れている。これに対する回答は、われわれが発生について語るのなら、遺伝的要因と同時に非遺伝的要因を強調するのが適切だということである。しかしながら、淘汰の単位について語るのなら、それとは違った強調、つまり自己複製子の諸性質というものの強調が要求されるのではないだろうか。(p193)