もしも「ブログとは何か?」と尋ねられたら、私は「WEBページを作成するためのWEBアプリケーション」と答える。「ブログとは○○である」という議論は、たいていブログに対する個人的な主張(あるいは社会学)や、ブログの使い方の提案であって「ブログ」そのものの意味を扱った議論ではない。これは「ブログとは○○である」論が間違っているというわけではなく、単純に質問に対する回答が異なるという話。大した話ではない。たとえば「はさみとは何か?」と尋ねられたら、「はさみとは物をはさみ切るための道具(岩波国語辞典)」と答えるのが適切だろう。それ以外はすべて「用例(あるいは意味の拡張)」であって、本来的な意味ではない。質問に対する答えを間違えると「(自分にとって)ブログとはそうではない)」という議論が巻き起こる。質問の答えを間違えてはいけない。
もしも「自分にとってブログとは何か?」と尋ねられたら、現時点では私は「自分をまとめるためのツール」と答えるかもしれない。この質問には含意があって、求められる答えが一つではない。おそらく自分にとって「ブログ」とはどんな存在か、どんな用途で用いているか、そんなことを尋ねていると想像される。この質問に対しては、自分なりに質問を解釈して、自分なりの答えを出せば良いのだろう(曖昧さを指摘するという手もあるが)。
自分にとってブログとは何か、この答えはコロコロと変わる。以前は関心のそそるテーマ(あるいはニュース記事)をクリップして自分なりの解釈をつけるためのツールであったし、WEBサイトのデザインを実験する場でもあった。私にとってのブログとは、私の考え・生活が変わるたびに変わる。声を大にして言えるほど明確な回答はない。今は「自分をまとめるためのツール」という言い方が一番適切だろうと思う。誰かに向けて発信することを一義としているわけではなく、どちらかといえば自分のための発信なのである。自分の頭の中に「済」というハンコをポンッと押しているような感じなのだ。極端に言えば、誰にも見てもらえなくても良い(実際にそうだと切ないけれど)。
では、もしも「ブログで何をすれば良いのか」と尋ねられたら、・・・そのうち続くかも(眠い)