メモログ

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広告についてのてきとうな雑感

Zeldmanが自身のサイトのリデザインについて自分のサイト.net Magazingで解説しています。

その記事の中で、Zeldmanは一方ではモバイルが、もう一方ではInstapaperReadabilityなどのアプリが、デザイナーたちのゲームを変えたと述べています。ユーザーはそうしたアプリでサイト上の余計なものを今まで以上に排除できるようになった。だからcontentにfocusしないといけないとユーザーはデザイン全体を排除してしまうだろうと。

I’m grateful because her comment made me realise that I needed to write a brief manifesto about how mobile on one side, and apps like Instapaper and Readability on the other, are changing the game for designers.

If we don’t focus on the content the reader came for … our users will retaliate by removing our designs altogether. It’s the web. Now more than ever, the user is in control of what she sees and when she sees it.

Zeldman: I absolutely believe that our challenge is to surface and focus on the content our users came for. That may often mean bigger, more readable type, but it also means less cluttered interfaces, fewer distractions. We need to rethink navigation and advertising.

The responsive design community has raised the issue more than once of a need for responsive ad spaces, and that is true, but it’s only a beginning. We’ve priced advertising such that the only way to pay for content is to fill every web page with a million ads. The cluttered layouts that result don’t serve the advertiser, because nobody reads them. Our cluttered layouts have trained users to ignore ads. Therefore we charge less and less and stick more and more ads on the page. It’s a futile, vicious circle.

(http://www.netmagazine.com/interviews/jeffrey-zeldman-his-web-design-manifesto-2012)

contentにfocusするという流れから、contentにfocusするためのアクションとして、大きくてみやすいフォントにすることや、「less clutterd interfaces」にすることに言及しています。(clutteredな)ナビゲーションや広告を再考する必要があると。

上の記事の流れからの広告についてのてきとうな雑感(根拠なし)。

そもそもクリックする人はトラフィック全体の多くて数%とかそんなもの(裏付けなし)で、広告の配置とか効果というものが、すでに直観とは違うところにある。私自身の場合では、広告と分かるものは今でも100%クリックしないですし、clutteredに広告を貼付けているサイト(見出しの下に広告置いたりとか)はそもそも見に行かない。そうした意味で、私はすでにignore adsにtrainedされたユーザーと言えるのかもしれない。少なくとも広告をクリックする層にはいない。私にとっては広告をクリックするという行為自身がなぞに近い。

広告をクリックするユーザー像をuntrainedなユーザー(もしくは広告に積極的な意味を持っている人、広告好きな人)と仮定すると、インターネットをふだんあまり使わない人ということになるかもしれない(もしくは雑多な情報が好きな人?)。そうしたユーザーはおそらくReadabilityは使わないだろうし、今後も広告をクリックするのではないだろうか(クリックミスも含めて)。

まず自分のサイトのユーザーがどんなタイプかを知る(仮定する)というのは、より重要になるかもしれない。trainedされたユーザーを対象にするサイトであるなら、意味のないclutteredなlayout(ads)は避けて、contentにフォーカスした方が、長く支持されるようなサイトになるかもしれない。逆にuntrainedなユーザーも多く訪れるようなサイトであるなら、clutteredなlayoutは今後も活きるかもしれない。もしかしたら、はっきりわかりやすいlayoutにしてadsを置く方が効果があるのかもしれない。結局、広告をクリックするのはユーザーだから、そこもユーザー次第なんですけど。

一方で、広告収入以外で、どうやってサイトを運営するための収益源を確保するかという問題は、浮上してくるかもしれない。clutteredなadsが悪循環であるとしても、そちらのほうが収益が得られるとしたら、clutteredをなくすことは収益の低下につながるかもしれない。そこは、独立採算なのか、全体最適なのか、みたいな差が出てくるかもしれない。

と、まあ、もう少し、webデザイン的な領域から、web広告の将来像を描けるかなと思ったのですけど、やはりよくわからないですね。まあとにかく、現状は少しクリック率とかdata drivenすぎる配置が多くて、かなりclutteredな雰囲気のサイトが多いというのはあって、それはたぶんすでに直観では理解できないレベルに広告の配置効果が存在しているからなんだろうけど、そこを考え直す機会がもしかしたら近い将来あるかもしれない(クリック率の低下とかで)。ないかもしれないけど。そうしたときに、上のzeldmanが言及しているような背景があるかもしれない。ないかもしれないけど。